北海道清水町議会

北海道清水町議会

平成22年第8回定例会(12月17日_日程1_一般質問7)

○議長(田中勝男) 次に、11番、荒木篤司議員。

○11番(荒木篤司) 今回は、町長と教育委員会にそれぞれ1点ずつ伺いたいと思います。
 今頃になって、このような質問をするのはおかしいかもしれませんが、原点に返って考える必要があるということでお伺いいたします。
 最初に、地方自治体の役目です。町長は日頃どのように考えておられるのか、現代の時代的背景もどう考えているのかについて伺っていきたいと思います。
 日本は、本格的な減少社会に突入してから、もう4・5年になるでしょうか。生まれてくる子どもよりも、亡くなる人のほうが多いということで、日本の合計特殊出生率の最近の統計では1.32人くらいという話があり、国もいろいろと知恵を絞って、子どもの数を増やそうと努力をしているようですが、割合は横ばいで、劇的に上昇するようなことにはなっていないようです。日本国内にある町村では、場所によっていろいろな手を打って、その結果、現状維持よりも効果を得たという報道もされております。清水町の場合は、現状はそういうことですが、近い将来、どうしようとお考えなのかお伺いしたいと思います。
 今の世の中の流れで黙っていれば、どんどん過疎化・人口減少が進み、やがて数学的に日本の人口が1名になるというような話もあります。そういったものに対して、どのような対策、高齢化によって、これから自治体間の人の増える格差、減る割合が少ないだとか、そういった格差が出てくるのではないかと思っていますが、間違いでしょうか。要するに、人が住めない自治体は崩壊する。これから末端自治体が取り組まなくてはならないのは、いろいろな公共施設をつくるということより、世の中の流れに逆行して進んでいる人達の小さな幸せのために、手助けをすることが必要ではないかと思いますがいかがでしょう。
 町長の周辺では、大きな幸せよりも、施設を充実させたほうがいいという考えの方も多数おられるかわかりませんが、そういった時代は終わりました。私はそう思っております。
 清水町の年間予算は、当初予算でみれば60億円前後で、それをベースにして予算を組まなくてはならないということですよね。一番予算の規模が大きいときのことも知っていますけれども、当初予算で98億円、交付税が約50億円入ってきました。そういったものを使って、いろいろなことをやったということが、夢を再びというふうに思っても、そういう時代にはならないのではないかと思っているところです。なので、これからどうするかということになれば、図書館やプール、スキー場などが町村間で競争して建てていくという時代ではないと思います。逆に、アイスアリーナは清水町が持っていますので、これをいろいろな町村にも開放する、図書館はどこかの町で、充実したものをつくってもらうかたちで、町村間で役割を分担してやっていかなければならないと考えていますがいかがでしょう。
 町長が町政を担う前は、今話したようなことでしたが、今そういうことで、10分の6、5分の3の予算の時代に入ったわけですから、それぞれの町・村が特徴あるものをつくって、お互いに利用しあうということを十勝にある町村会あたりで、しっかりと議論していくことが必要だと思います。確かに、広尾から足寄までいろいろありますが、道路も整備されましたし、1時間前後で帯広に集まるということが可能な時代になりました。そういったことを考えて、知恵を絞ってやっていただきたいと思いますがいかがでしょうか。
 右肩上がりの予算編成から、逆に右肩下がり。今はある程度止まっていますが、時代ではそういった状況です。なので、よく国の予算のなかで、関係者がそれぞれの立場でいろいろと言っておりますし、交付税も増やせとおっしゃっていますが、880兆円近い借金を抱えたなかで、地方に国から交付税を回す時代ではないのではないか、60億円ベースというのは、これからの地方自治体の当たり前の姿にあるのではないかと思っております。20世紀の町は、バブルの影響もありましたので右肩上がりでした。これからは、いろいろなことで知恵を絞ってやっていかなくてはならない時代になるのではないかと思っておりますが、いかがでしょう。
 そういうことで、お金がないということは、国からのいろいろな頼りがなくなるということだと思います。それこそ、それぞれの町が知恵を絞って、我が町はどうするかということを抜いて考え、尚且つ、連携しあって持ち味をいかしていくという時代に、完全に移ったのではないかと思うところです。
 今回、第5期総合計画に出されましたが、そういった視点があったかどうかについて僕自身も、その方向でみたということがなかったので、そういうことを言えば、迂闊だったと今更ながら思っております。この第5期総合計画も含めて変わりつつある自治体のなかで、何をしていかなくてはならないのか、町長はお考えなのかお聞きしたいと思います。
 次に、教育委員会にお聞きします。私は、戦前生まれでございまして、終戦の翌年、小学校1年生に入りました。入ったときは国民学校でした。混乱のなかの教育を受けながら育ってきた世代で、世の中も終戦直後で混乱している時代なので、考えることが間違えているかも分かりませんけれども、お聞きしたいと思います。
 戦前は、文部省が権限をしっかり持っていて、日本の隅々まで指図をしていたということで、その結果、戦争の責任というか、そういうものを問われるかたちで文部省が影を薄めて、教育委員会制度というものができあがってきたと思っています。その最初の教育委員会制度というのは公選で、議会議員と同じように立候補をして町民が投票するかたちで選ばれてきました。正確かどうかはわかりませんが、20年頃、公選制から任命制に移りました。任命制に移ったということは、誰か力を持っている人が任命していくことですから、その前の国民の一人ひとりの教育に対する願いや望みというものが、必ずしも受け入れられてきたとは言えなくなったと思っております。
 それでもなお、文部省の力を極力排除して、それぞれの地域が地域にあった子どもを養成しようという考えは、今でも生きていると思いますが、ときどき、全国一斉に何かしなくてはならないという矛盾のなかでやられているのかと思っております。古いことを持ち出してどうこう言うわけではありませんけれども、清水町教育委員会としては、こういった歴史的な流れを捉えて、今後の教育行政を進められるのかと思っていたのでお聞きしたつもりです。
 日本全体でいうと、教育委員会を巡る問題が多発しております。幸い、清水町においては表面的には穏やかな気がします。いつ、どのようなかたちで表面に現れるかわからない状態でないかと、今の世相をみるとそう感じます。清水町はしっかり教育しているから大丈夫だという考えは、持たないほうがいいのではないかと思っております。その結果、教育委員会としてかたちをつくる、教育はこういうものだ、みたいなかたちをつくってやればやるほど、子ども達を制度や仕組みにがんじがらめに縛り付けて、それが教育によい環境だというようなことをいっているのかと思うところです。いわゆる黙ってついて来い式の教育環境になっていないか、違うとすれば、私の質問の何が違うのかということを教えてください。
 今まで、教育行政に関わってきた人が、教師の出身者の部分が強かったような気がします。先生という人がよい先生ということはどういうことかということは、子どもによい先生と大人によい先生がいると思います。そこのところを間違えると、子どもとしてはたまったものではないと思っています。地域の教育委員会、清水町の教育というのは、もともとオープンで教育用語を使った専門的な話をする場所ではなく、普通の町民の集まりであっていいと思っております。そのなかで、教育委員の皆さんが知恵を出し合い、手探りで解決策を見つけられれば、血の通った温かい教育行政になるような気がします。
 私は何年か前に、清水町教育委員会の委員が3名で、実のある議論ができるのかということを伺ったことがございます。できるのかといわれて、できないというわけではありませんから、できるという返事はいただきました。しかし、本当にそういった考えからいえば、執行する人達が委員長・委員長代理・教育長でもって、町民の子どもたちの声が聞こえるのかどうかということについては、いささか不安を持っていた一人です。できるだけわかりやすく、専門用語を使ってわからないようなことが多々あります。なので、かたちだけではなく、話の内容の平常が伝わるような話しで進めていただければ変わってくると思っております。
 いろいろと素人が言うのもおかしいと自分でも思っておりますが、どうしても先生を職業としている人達が考えると押しつけがましくなる傾向があるのではないかと思います。一人ひとりの子どもを大切にして、できるだけ一人ひとりの夢や望みを叶えてあげられるような体制を経ていくべきだと考えておりますので、考えをお聞きしたいと思います。
 以上、2点を終わります。

○議長(田中勝男) 答弁を求めます。町長。

○町長(高薄 渡) 質問の要旨が幅広いので、理念のところが非常に多く、正直申し上げまして、具体的なところを見つけるのが大変であります。ご案内のとおり、地方自治というのは決められておりまして、憲法で定められています。92条におきまして「住民の目線で満足感のある高い施策を実施していくのが地方自治です」とうたわれております。地方自治法には、そのために町民に直結する事業については幅広いものもありますので、それを住民の意思に沿って、住民の考えなどを取りまとめて、自主的・自立的にそれを行わなければならないということが、自治法でうたわれていて、その解釈につながっているわけであります。
 私共は、そういうことから考えてみても、末端自治というのは住民一人ひとりの思いを総合的に集約化して、そのなかで何が望まれているのかを、住民の皆さんと共に行っていくものだと思います。それがひとつの決定権を持つ地方議会ということになろうかと思います。議会の議決がなければ、執行ができませんとうたわれているわけでありまして、その議会の議員の皆様、住民が思いを持っている者が集約されてきていると押さえているところでありまして、私そのものは住民と同じ、そういったもののなかから仕事をしていくべきだと思います。それが地方自治体の役割になるのではないかと思います。
 今までの政策とどこが違うのかということになりますと、日本の戦後、そういった表現になるかもしれませんが、どの都市も農村地域も同じ恩恵を受けられるような施策がなされてきたのではないかと思います。
 本来、私共が行わなければならない以上のものが国策としてなされてきたということになります。その恩恵は多大であったと思います。それが、日本が国力をつけて、今は抜かされましたが、世界の経済2位と、そういったことで戦争の傷跡を治し、戦争で迷惑をかけた国へ経済支援や、人為的支援をしてきたのではないかと思います。
 そういった面から、このような投資をしなければならない状況が起きたものだと思います。これは、地域住民が望まれたことが集約されて、結果になったものだと思うところもありますが、そうでない部分もなきにしもあらず、あったのも事実でございます。
 今後はどうなるのかということは、昭和でいえば40年代の前半から後半、50年代の前半にかけた施設づくりが急激に進みました。平成に入ってから、それがほとんどなくなってきているということであります。それは自立感ができたということになりますけれども、平成になってやっていなかったところを、自治体は今までやってきたことが多いわけです。我が町においては、昭和40年代から先駆けてやったというところに、早く恩恵を被ったわけですが、これらが30年・40年と経過のなかでは、老朽化してきているということであります。
 私の町で同じような取り組みをしたところは、ここ10年くらいの間に、相当な施設の改修などが出てくるのではないかと思います。それをやめるべきというご意見だと思います。確かに、私達も行政改革のなかでそういったお話をしております。このお話は住民の目線なのかと考えた場合に、どこかが違うのではないかと思います。最低限の生活をしていく、楽しんでいく、あるいは病にかかったとき、介護が必要になったときの最低限の施設づくりは必要ではないかと思うところがあります。そこらへんを我々が考える行革の考えと、住民の目線の考えとのギャップの差があるのではないでしょうか。このへんをどのようにして埋めあいながら、協調して協働のまちづくりへもっていくかというのが、これからの大きな視点ではないかと思っております。
 それぞれの町で特色あるものをやっていて、悔しいから特色あることをしたい、しかし、行財政改革ではやらなければならない使命感は持たなければならないので、財政再建団体に絶対になってはいけない、ならないという思いは、どうしてもそこで制限が加わるのが当然でございます。そのなかで、我が町としまして、できる範囲のなかでも特色あるまちづくりをしてきたと思います。例えば、子ども達の問題について、保育児童をいかにきちんとしていくかということについては、配慮してきたつもりであります。そのあとの児童館、放課後の対策のなかにも、他町村では料金を設定していますけれども、私共はそこの部分はゆずれない、苦しいなかでありながらも、お母さんやお父さんが働いて、その子ども達を預かることには、料金を抑えていこうということで、無料にしていこうだとか、保育料を上げなくてはならない部分は上げましたけれども、管内では10番以下にしようと対策をしてきたわけです。その面も評価が高く、近隣町村から清水に行くと、我が町にもいろいろな面でそういうことがありますねとよく言われます。
 人口減の問題ですが、これは、工場があったがゆえに当町は人口が保たれてきたわけであります。ここ10年・20年を振り返りますと、機械化・オートメーション化になり、職員が減ってまいります。ホクレンでございますが、完全に地元農協の農産物をあれした費用でありますけれども、180名くらいがいたところであります。現在はいくらかになりますと、その半分以下であります。70名からのそこらへんの職員になっています。日甜にしてもご案内のように、東住宅にありましたが、なくなってまいりました。そういうことで、機械化により減ってきたのが、清水町の現状であります。一方の、農業ではどうかとなりますと、減り方は少ないということになります。そこでどうであったかというと、農業にかける町の姿勢、住民の姿勢が強かったために、このような状況になっているのではないかと思っております。
 また、御影との合併もございましたし、御影とのなかで定住対策・人口対策も含めて、桜ヶ丘団地・鉄南団地・さくらの団地・ひびきの団地とやってきています。そこで定住の人口増加を保ってきたというのも実態でございます。
 今後はどうするのかということになりますと、用地を求めてやっていくことについては、非常に困難であります。したがって、民力をいただかなくてはならなく、それぞれの町の起業家の人達に建設をしていただいて、帯広からも来ていただいてやっております。まだ、不足していて、単身者用でございますので、これを定住対策へもっていかなくてはならないと考えているところであります。
 これから施設づくりはどうなるのかということになりますけれども、お互い市町村の垣根を越えてやらなくてはならないのは確かでございます。距離間がありますので、公共交通をどうするかにつながっていくのではないか。足の確保です。都会に行けば30分や1時間は地下鉄や電車、バスで行けるわけでありますが、当町においてはそういうことはできない、距離間があるなかでございます。地域公共交通をどうするかということで、国も含めて考えているところでございます。そういった面で、今ある幸せは未来への幸せ、あるいは、どのようにしていくかということでは、実態生活をしっかり押さえたなかで、まちづくりの計画は計画として実行していかなくてはならないと思っております。それには、行政が先頭に立っていくことも必要でありますが、行政だけでは限界があります。やはり、住民のなかでそういう思いをつくったグループなどが立ち上がっていかなければ、これは到底成し遂げられるものではないと思います。
 今後、そういった面で、今一度、団体自治というなかでの団体をどのようにまちづくりのなかにいかしていけるような体制づくりをどうするかを考えなくてはならないと思います。その団体の種別が違っていても、連携強化をしっかりしたなかでいかなくてはならないと思うところであります。
 理念的な質問でございましたので、答弁もそのような方向性にしか持っていけるようなことにしかならないと思いますが、お許しいただいて、再質問のなかで具体的なものが出ればお答えしたいと思うしだいでございます。

○議長(田中勝男) 答弁を求めます。次に、教育委員長。

○教育委員長(三澤吏佐子) 教育委員会の役目についての質問にお答えさせていただきます。
 初めに、教育委員会制度の沿革について触れさせていただきたいと思います。我が国の教育に関する事務は、戦前まではもっぱら国の事務とされておりましたが、戦後は民主化の重要な柱の一つとして教育制度の改革が行われ、昭和23年、教育委員会の組織や権限などについて定めた、教育委員会法が施行されました。それは公平な民意による教育行政の運営、地方の実情に即した運営、教育への不当な支配の排除を理念とし、教育に関する予算や条例案を作成し、議会に提出する権限を持つ独立した機関として位置づけられ、教育委員は公選制が採用されました。
 その後、全国的な教育水準の維持・向上と教育の機会均等の確保が求められるようになったこと、教育委員の選挙を通じて政治的対立が持ち込まれるなど制度の弊害が指摘されるようになり、昭和31年、教育の政治的中立と教育行政の安定の確保、一般行政との調和を図り、国・都道府県・市町村が連携する教育行政制度とすることを趣旨として、地方教育行政の組織及び運営に関する法律が制定されました。これにより、教育委員の公選制が廃止され、首長が議会の同意を得て任命することとされました。
 さらに、平成11年には、地方分権一括法により、教育長の任命承認制度が廃止され、国と都道府県・都道府県と市町村は対等な立場で協力して教育行政を推進する制度への改革が進められてきたところでございます。
 このような改革の経緯を踏まえ、清水町教育委員会といたしましても、4つの点について確認しながら教育行政を進めているところでございます。
 1点目としては、政治的中立の確保です。教育は、個人の精神的な価値の形成に影響を与えますので、特定の党派など影響を受けることなく、中立・公正が求められます。
 2点目は、継続性・安定性の確保であります。特に、義務教育については、学習期間を通じて、一貫した方針の下、安定的に行われることが必要であると思います。
 3点目といたしましては、合議制による執行です。首長から独立した機関として、現在、清水町では4名の教育委員によって教育委員会が構成されております。多様な属性を持った委員により、会議のための会議ではなく、時間をかけて納得のいくまで議論を深めているところでございます。
 4点目といたしましては、地域住民の意思の反映です。教育は地域住民にとって大変関心の高い行政分野でありまして、議員がおっしゃるとおり、専門家のみが担うのではなく、広く地域住民の参加を踏まえて行われる必要があります。幸いにも、現在、清水町ではたくさんの方々が教育の現場にかかわっていただいております。社会教育委員や学校支援委員など、各種委員や学校支援ボランティア・PTA親父の会なども各学校で発足しております。今後とも、清水町の教育行政にそれらの方々の多くの意見をいかしていく所存でございます。
 また、教育委員会制度への様々なご指摘のなかに、教育委員会は、国や都道府県の示す方向に集中し、それぞれの地域の実情に応じて施策を行う思考が、必ずしも強くないのではないかということがございますが、現在、各市町村で進められております、教育の日の制定につきましては、本町はいち早く取りかかり、町独自の施策として、「しみず教育の四季」を進めております。
 今日、子どもにかかわる悲惨な事件やいじめ、自殺などの報道を見聞きするたびに大変心が痛みます。原因は一応にはいえないと思いますが、大人社会の歪みが子どもに投影されているともいわれております。
 このような点からも、ますます地域社会や学校行政の役割が重要になってまいりますが、対処療法的な方策だけではなく抜本的で地味ではありますが、確実に浸透していく取組みが求められているのではないかと考えております。
 清水町の教育の理念である心響に基づく「しみず教育の四季」は、町ぐるみで子どもを育てるため、地域・家庭・学校がそれぞれ責任と自覚のうえに、連携を強めていくというものであり、その内容は極めて基本的なことであります。例えば、挨拶・返事・後片付け等は子どもが育っていく段階で身につけていくべき事柄であり、早寝・早起き・朝ごはん等は、もっとも基本的な生活習慣であると考えております。大人になるために、最低限備えなければならない素養であるとも考えております。将来、大海原に船出する子ども達の生きる力を育むためには、社会全体で取り組まなければならないことではないでしょうか。決して画一的な押し付けとは考えておりません。是非とも、現在の学校の実態に目を向けていただきたいです。教室での学習や行事に取り組む際の子ども達の表情は輝いております。校内に掲示された絵画や書道、壁新聞・作文・詩・短歌・俳句、そういうもののなかから子ども達の個性があふれ出ているんです。いみじくも、昨日、今日の質問のなかで、山岸議員、安田議員のご指摘がありましたように、子ども達はそれぞれの分野で個性を発揮しております。教職員も、子ども達一人ひとりの夢を叶えようと、必死に努力している姿が実感いただけるものと思っております。
 私共、教育委員会といたしましても、清水町の宝である子ども達のために、学校の教育活動や地域活動に対し、今後とも様々な支援を行ってまいる所存でございます。どうかご理解を賜りますようよろしくお願いたします。

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○議長(田中勝男) ここで休憩いたします。

○議長(田中勝男) 休憩前に引続き会議を開きます。

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○議長(田中勝男) 一般質問を続けます。
 11番、荒木篤司議員。

○11番(荒木篤司) 再質問をさせていただきます。
 再質問は、教育委員会から聞きたいと思います。
 例えば、10人の子どもがいると、いろいろな規制や決められている枠のなかにはまらない子が1人くらいいます。というお話を聞いたことがあります。そうすると、その子のせいというよりも、そういう環境や周りの影響でもって生まれた性格的なものもあると思います。とにかく、そういう子どもがいるということです。
 イギリスの教育制度は、学校に行く権利もありますし、行かない権利もあります。いろいろな進めかたが10以上もあると聞いたことがあります。日本の教育制度というのは、学校というものを中心にして、そこに行かない子は外れてしまうような認識を持たれがちだということで、結局行き場がないことが、いろいろな問題行動に変わっていくと聞いたことがあるのですがいかがですか。

○議長(田中勝男) 教育長。

○教育長(伊藤 登) 今のご質問ですが、10人いたら十人十色ということで、いろいろな考えの子どもがいるということでございます。学校で一般的に授業を行う学習活動・運動等々を含めて実施しているのが日本の教育となっております。イギリスの例も出されましたが、日本の義務教育の部分でいけば、学校で画一的ではなく、その子に応じた指導が求められるのではないかと思っております。
 そのなかで、なんらかの事情で学校にこれない子ども達については、家庭学習だとか、担任の先生がいろいろなかたちのなかでかかわりながら教育していく方法も取っているところでございますが、それが一概に良いとは思っておりません。集団生活に慣れて、社会に出たときに、人々とたくさんかかわりながらうまくやっていく、というのはおかしいですが、そのなかで、仕事ないし、そういう行動ができるということが備わっていないとまずいのではないかという気がしています。
 それが、本当に集団生活で養われるかというと、そうでもないことは重々承知しております。それは、その子の持っている個性というかたちのなかで、考えていかなければいけないと思っております。画一的に全ての子どもが学校にきてという強制はしていないつもりでございますし、家庭でのいろいろな事情があると思いますので、保護者の方々が責任を持って自分の子供を育てるというかたちのなかでも、認められる部分かと思っております。

○議長(田中勝男) 荒木篤司議員。

○11番(荒木篤司) 先ほどの、教育委員長のご答弁のなかで、清水の小学校・中学校が、一生懸命いろいろな分野で活躍されていて、良い学校環境だというお話がありました。そういうことも大事かと思いますが、馴染まない子ども・学校に行けない子ども・弱い子どもを大人はどう支えるかということのほうが大事なことではないかと思うのです。
 今、教育長がおっしゃったように、日本のいろいろな賞をもらって有名になった人達がおりますが、案外、その人達の子どものころは異端児だったり、学校に馴染めなかったりという人達が個性を輝かせているというような話も聞いております。画一的な枠のなかにはめようと考えずに、その子にとって何ができるかということを考えていくべきではないかと思いますが、私の言っていることは間違っていますでしょうか。

○議長(田中勝男) 教育委員長。

○教育委員長(三澤吏佐子) それぞれの子ども達が個性的に育っていくということについて、教育委員会が何かを規制するだとか、枠にはめようとしていません。ただし、子どもが成長するうえで最も基本的な部分、例えば、花を咲かせる・実を結ぶ、そういう行動についても基礎の部分です。そこをきちんと習得し、充実させることによって、それから赤い花を咲かせる・立派な木を育てる、それは、それぞれの子どものこれからの問題であると思います。それを規制するものではございません。ただ、子ども達が将来にそれぞれの個性を輝かせるために、最も基本的な部分について何かの目標を設定して、そこに子ども達が立派な花を咲かせていくことが最も重要なところであると考えております。

○議長(田中勝男) 荒木篤司議員。

○11番(荒木篤司) この前、この話をするときに、学校教育課長と懇談をしました。そのときに申し上げたことがございます。このような話であります。夏休み・冬休みに宿題などが出されます。宿題をやっていくというのは当たり前のことですけれども、例えば、歯磨きカレンダーという、毎日歯を磨いたら印をつけるというカレンダーがございます。歯は毎日磨くけれども、歯を磨かなくてもそのカレンダーに印をつけていくという子どもが1人、毎日歯を磨いてカレンダーに印をつけていく子どもがいる、歯を磨くのだけれども、カレンダーに印をつけない子がいます。その場合、例えば、歯を磨いたけれどもカレンダーに印をつけなかった子どもは、0点なのでしょう。歯を磨かなくても印をつけた子どもは、ひょっとしたら100点なのかもしれません。そういう決まりは何を見て、人を評価するかという部分の重要なひとつのポイントだと思います。うちの子どもは歯を磨くけれども、カレンダーに印をつけませんでした。それでも歯を磨いているんだからいいでしょう。確かに磨いているからいいのですが、親としては、印をつけて出してほしいと思うのだけれども、子どもがやらないのだからしかたがないと認めてきたんですが、今のような例えばの話、そういうように評価をするということは、難しいことなのかと思います。こういった場合はどうしたらよいのでしょうか。

○議長(田中勝男) 教育委員長。

○教育委員長(三澤吏佐子) 確かに、荒木議員のお子さんのように、目標がなくても、自己の判断のなかでその問題を解決しながら進んでいこう、そして、それを親が正しく評価しようというお宅もあると思います。しかし、何か物事を習慣付ける、何かを習慣化させるということについて、大人であろうと子どもであろうと、目標を持つこと、つまり、カレンダーに1つずつ丸をつけることで、励みを持って頑張ろうとする子ども達もいるのです。そういう個性もあるはずです。これは、大人・子どもに問題はないと思います。違いもないと思います。
 特に、子どもだから、そういった強制をされているのだということではなく、そこに励み・目標を持って、さらに前向きになれる人達・個性もあるはずなのです。このことは、清水町の教育委員会が新しく開発したことでも何でもありません。昔から最もオーソドックスな習慣化の方法であると考えますが、いかがでしょうか。

○議長(田中勝男) 荒木篤司議員。

○11番(荒木篤司) 今、例えばの話をしました。この子の評価をどうするかというのは、人によって違うと思います。私共の親は、親としてそういうこともあり得るということを認めてきたところです。いろいろな進めかた・やりかたを持って、人それぞれ違うので、そういうようなことを認識しながら、教育行政というのを進めていただきたいと思います。いかがでしょう。

○議長(田中勝男) 教育長。

○教育長(伊藤 登) 今おっしゃったとおり、そういう個性を認めながら、先生方にはいろいろな努力をしていただいている状況でございますし、今はいろいろな授業で、町の配慮によって支援員など、いろいろなかたちのなかで、その個性をいかにして伸ばしてあげられるかという教育も進めているところでございます。T・Tの先生も使いながら対応しているところでございます。それが、うまく回っているというか、その子に応じた教育ができているというか、今言った評価をする部分だけではなくて、中身の問題でいけば解決される問題だと思います。
 今後とも、この部分については大事にし、学校と打ち合わせをしながら進めてまいりたいと思います。

○議長(田中勝男) 荒木篤司議員。

○11番(荒木篤司) ありがとうございます。
 町長にお聞きします。先ほどお話ししました。清水町の予算、交付税が30億円前後ですよね、一時50億円に近い交付税がきたことがありました。私は、50億円くらいきた時代というのは、過去のことではないか、これからは身の丈にあった予算のなかで行政を進めていく、清水町といえば60億円から70億円くらい、国の予算分の1だとしたら、そのようなものだと思います。そういうなかで進めていかなければならないといけないのではないかと思いますが、町長はどういった認識でしょうか。

○議長(田中勝男) 町長。

○町長(高薄 渡) 私もそう思っているというよりも、想定されるという部分になるわけであります。私の町の財政的な問題からいきますと、50億円をきるのが通常の計上予算ということになるわけです。
 しかし、事業を展開していくと、どうしても膨らんでくるわけであります。例えば、一般的な生活の施設づくりなどは抑えたとしても、農業を生産している以上、どうしても農業の基盤整備というのは数十年にいっぺんあがっていかなければならないのです。生産が上がっていかないわけです。土壌改良をして、土の入れ替えをして、肥沃な土地に切り替えていかなければならないということになります。
 そういたしますと、上面だけはそれができたとしても、下の水の問題はどうなのかということになります。これも、40年近くなってくるわけでございます。そして機械が大型化になってきます。当然、地盤沈下になり、管がずれてしまいます。今日もNHKか何かでやっていましたが、水道管がきわめて危険だということがありました。それと同じように、そうなってくるのです。それは数十年にいっぺんやらないといけないのです。丁度それが、この10年のなかに出てくるのではないかと思います。
 このへんを早く国に面的整備の計画を立ててほしいということで、私は4年前に直訴しました。それがそういうことになりまして、計画することになりましたけれども、予算はどうだということになりますと、今の骨格予算でございますので、整備が遅れているということで、私共は強く言っているところであります。それをしなければ、TPPをいくらあれしても、生産力を上げるとしても、上がってこないわけです。やっぱりそこに投資していく経費がかかってくるということになるのです。
 例えば、牛乳生産をやります。道路網も凍結がひどいです。特に十勝方面は凍結がひどくなります。その道路のがたがたのところを、箱を積んで運送していくことは危険きわまりないです。それがずれて倒してしまったら、何十戸から集めてきたミルクがパーになってしまいます。なので、しっかりした道路整備をしていかなければならないのです。そういう面で、これはかかるのです。これは道路だとか土地だとかは、お互いに町村を越えてやることはできないです。
 一般的な施設、例えば、図書館などについてはそういうほうにいけるかもしれませんけれども、そうはいかないです。そこは、最低限必要なものでありますということを、先ほどお話をしたところであります。
 そういった事情がこれからも出てきます。そうしたならば、それだけでこれは必要ないということにはならないわけで、その時代は終わったということにもならないです。しかし、今までの考え方が上向きから下がって15年にもなっていますので、それが身に染み付く認識度が遅いということはいえます。業績的な面で、ここで議論している場合が早いのですが、住民のところにいきますと、まだ前のような感じのほうが強く持っている人が多いです。
 これは、みんなで考えていかなければなりません。それが、今度の新しいまちづくり計画のなかで議論されてきたことです。先ほどの、地方自治とはなんだということは、住民が自治をつくりあげなくてはならないのです。行政はそれを、個々にできないものを集約して、補完制の原理で行政はやっていくということになります。
 従来は、行政が主体で、住民がついてきたような状況でした。今度は違います。住民が主体的に動いて、行政が補完していくというやりかたをしていかなければ、まちづくりはできないものだと、私はそういう思いでおります。これは変わりません。ずっと前からそういう考え方でおりました。特に社会教育活動が長かったので、どうしても根底に出てくるのです。
 そういうことで、住民のみんながそういった思いでやっていかなければ、この町はなっていきません。こう思っております。そのためには、今ある組織をもう一度、十分に考えていただくように行政として指針を受け入れられるようなかたちにしていかなければなりません。受け入れられない指針を出してもだめです。住民に受け入れられるために、住民の意見をより身近で考えて、整理をしていく必要があります。そうやって住民自治を発展させていきたいという強い思いであります。

○議長(田中勝男) 荒木篤司議員。

○11番(荒木篤司) 町長がおっしゃることもわかります。今までいろいろなことに、本来、町がやる仕事ではなくて、大きな機関がやる仕事かもわからないですよね。そう考えれば、例えば、清水町だけが何かをやるというのではなく、いろいろな人とつながっているようなことですので、町がやるというよりも、国なり道なりが例えば食糧増産のためにやらなければならないと思います。
 今、予算の規模が縮小されているなかで、まず、住民の生活をどうするのかという部分をしっかり考えていかなければならないです。役割分担というものをはっきりさせて取り進んでいくのが、これからの行政の方法かと思いますが、いかがでしょうか。

○議長(田中勝男) 町長。

○町長(高薄 渡) 荒木議員のおっしゃることはよくわかりますが、実行面に移りますと、そうなっていないんです。やっぱり、行政のほうに頼りがちになっているんです。非常に難しい問題なのですが、徐々になってきてはいますが、まだそこにいたっていないのが現状であります。そこらへんが、一番苦労しているところです。例えば、花いっぱい商店街を町でやりましょうと声をかけ、一緒にやりましたが、もう、手に負えないので役場がやってくれとなってくるのです。なので、役場もやる以上は途中でやめるわけにはいきません。議会でみなさんの議決をいただいてやるので、2年やったからやめたというわけにはいきません。継続的にずっとやらなければならないのです。なので、慎重にならざるを得ないのです。それが役場はなにもしてくれないとなってしまいます。こういうような状況では、協働のまちづくりは進んでいきません。自分達にしても、除雪についてもそうです。家の前まであけてくれということになります。ロータリーが走ると塊を置いていく、自分のところは元気があればよけてくれてもいいのではないかと思いますが、そういうことになるんです。そこらへんで不足しているところがたくさんあるのではないでしょうか。言われていることはわかりますが、実行面ではそういう問題に対して職員の不安もあると思います。
 今まで、当然、国や道でやっています。かんがい排水事業でもそうです。排水事業なんかも、鹿追・新得ダムにしてもいろいろな面でもそうです。全部、音更・帯広までいっております。全て畑総事業も芽室を経由して、それぞれ持ち寄り、課題を出し合って、みんなで協同してやっていこう、そういうものはできます。そうでないものは、もうあるわけでありまして、そのへんをどう整理していくかということになります。これにも、住民の理解が絶対必要です。御影まで行くにも大変だということです。バスを出せだとか。これがもっと離れてしまったらどうするのか、鹿追まで行くのに15キロも18キロもあってどうするのかとなってしまいます。そういう面で、住民に理解をしていただく。特定の人が利用するのであれば、それはよいかもしれません。みんなで利用することになると、交通というものはしっかりとしなければならないのではないかと思っております。

○議長(田中勝男) 荒木篤司議員。

○11番(荒木篤司) 確かに、言うことと実際にやっていくなかで、矛盾などの問題を抱えているということはよくわかります。
 そういうことで、21世紀の自治体のありかたというのは、今までと変わっていく気がいたしますけれども、私も、20年間この場所に立たせていただいて、一番交付税がじゃぶじゃぶのときも議員でした。ですから、だいぶすると、じゃぶじゃぶのことが懐かしくといいますか、そういう時代が一番いいと思いますので、予算が縮小されるということについては、なかなか難しいです。自分としての認識がもてない感じがしました。
 今回、質問させていただきましたけれども、みなさんに長い間お世話になったことを御礼申し上げまして、終わります。

○議長(田中勝男) 以上で、荒木篤司議員の一般質問を終わります。