ペケレベツ駅逓跡(清水町発祥の地)

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 官設ペケレベツ駅逓(後に「清水駅逓」と改称)は、明治32年石狩から帯広に至る「石狩道路」の開通に伴い、中継ぎ駅として開設されました。

 開設が予定された当初、ペケレベツ原野には基線付近に讃岐団体が僅かに入っているだけで、開設したばかりの「石狩道路」の街道筋には人家はほとんどありませんでした。このため駅逓取扱人に任命された村山和十郎は、ペケレベツ川の小川のほとりにたった一軒あったアイヌ小屋に頼んで泊めてもらい付近の踏査を行い、駅逓所の予定地を定めたといいます。

 駅逓には旅行者の宿泊用の建物と馬小屋に加え、放牧地10ヘクタールが備えられ、官馬7頭に私馬7頭の計14頭が置かれ、郵便や人馬の継ぎ立て業務など、旅行者の便がはかられました。

 駅逓周辺にはやがて戸長役場、郵便局、巡査駐在所、森林監守駐在所などの官公署、旅館、商店などが軒を連ね、市街地として繁栄しました。駅逓の建物の規模は不明ですが、開設当時の1日平均の宿泊者は7,8人、多い時には30人を数えたといいます。このため駅逓はすぐに手狭になり、明治37年には二間を増築したといわれており、それなりの大きな建物であったことが予想されます。

 しかし明治40年、十勝線の鉄道が開通し、「清水停車場」が新市街地に開業したことにより、清水駅逓所は僅か8年余りで廃止となり、市街地も急速にさびれ、やがてその姿を消しました。

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 昭和27年、開拓時の史跡を後に伝えようと、開基50年の記念事業としてここに木製の標示板が建てられました。この木製標示板は間もなく、判別不能になったため昭和37年、町開基60年記念事業により新たに石碑に建て替えられました。

 石山から切り出された高さ1メートル、横1.2メートルの御影石の碑面には「清水町発祥の地」と刻まれています。

 敷地内には昭和27年に開設された家畜市場があり、春秋の市では仲買など大勢の人で賑わいを見せていましたが、昭和52年に取り壊されました。現在は清水公園のパークゴルフ場として整備された「発祥の地」の近くには、家畜市場時代の昭和34年に建立された「家畜感謝の碑」も建っています。

所在地

北海道上川郡清水町字清水第4線59番地

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